9月8日のAIニュースから6本をまとめる。前回取り上げた「AIによる数学難問題の証明」に、OpenAIの数学者への対応をめぐる新展開が生じた。研究面ではDeepMindがヒトゲノムの全変異予測マップを公開。企業面ではMetaがエンジニア評価からAI使用量を撤廃し、LibreOfficeは「AI機能なし」を明示してダウンロード記録を更新した。オープンモデルのライセンスが東西で逆方向に動いている点と、2017年製スマホ上の小規模LLMでブラウザを操作する検証も取り上げる。

OpenAIに数学者の成果「先取り」疑惑──Codexとのやり取りが発端

本ダイジェストでも前回、「AI数学が強制3次元オイラー方程式の有限時間爆発に関する成果を発表し、専門家が重大進展と評価」というニュースを取り上げた。その後、この問題をめぐって予想外の展開が生じている。

RedditのLocalLLaMAコミュニティに投稿された声明によると、2人の数学者が1年近くかけてこの難問題の解決に取り組む過程で、研究のドラフトをすべてOpenAIのCodexに入力していた。ところが公開の直前になって、OpenAIが同じ解法に基づく成果を発表したという。数学者側は、OpenAIのモデル(SolおよびAstra)が自分たちの非公開チャットで訓練されたのかと問い合わせたが、明確な回答は得られなかったとされる。数学者側の声明文自体もニューヨーク大学のサーバー上で公開されている。

Scientific Americanはこの件を「AIが100万ドル級の数学問題を解いたかもしれず、分野は二度と同じにはならない」と報じた。証明の数学的な価値に加えて、研究者がツールに入力した未発表データがどこまで安全なのかという問いが、今回の騒動で浮き彫りになった形だ。現時点では「疑惑」の段階であり、OpenAI側が意図的に成果を利用したと断定できる情報は出ていない。ただし、大手ラボが「ユーザーがモデルの助けを借りて作ったものはすべて自分たちのものとみなしているのではないか」という批判がコミュニティで広がっており、研究データの扱いをめぐる議論が続きそうだ。

DeepMindのAlphaGenome Atlas──ヒトゲノムの全変異を予測する地図

Google DeepMindは「AlphaGenome Atlas」を公開した。ヒトゲノム上で起こりうるすべての一文字変異(DNA配列の1か所の置換)の影響を予測した地図で、論文の謝辞からはエクセター大学、Broad研究所、ボストン小児病院、ハーバード大学、メモリアル・スローン・ケタリングがんセンターなど多数の機関との共同研究であることがわかる。

ゲノム研究では、希少な変異が病気と関連するのか无害なのかを判定することが長年の課題だった。全変異の効果をあらかじめ予測値として網羅したマップが利用できれば、遺伝子診断の解釈や変異の優先順位付けに活用できる可能性がある。現時点では公開された情報が限られており、予測精度や臨床応用の見通しについては今後の検証を待ちたい。

Meta、エンジニア評価から「AI使用量」を撤廃──「tokenmaxxing」の逆効果

The Decoderの報道によると、Metaはエンジニアの人事評価においてAIツールの使用量を指標から外すことを決めた。同社は以前、エンジニアに対してAIの活用を評価に結びつける方針を示していたが、その結果として「tokenmaxxing」(見かけ上のAI使用量を稼ぐ行為)が横行し、本来の目的である生産性向上につながらなかったとされる。

評価指標は必ず最適化される、という古典的な問題がAI時代に再び現れた形だ。使用量という代理指標では、本当に価値のあるAI活用と、トークンを消費するだけの形式的な利用を区別できない。指標撤廃の決定が、AI活用の質を測るより良い方法の模索につながるかは今後の展開を待ちたい。

LibreOffice、「AI機能なし」を宣言してダウンロード記録を更新

オフィススイートのLibreOfficeが、AI機能を搭載していないことを明示したところ、ダウンロード数が記録を更新したと報じられた。このニュースはHacker Newsでも134ポイントを集めるなど大きな反響を呼んだ。

背景にあるのは「AI疲れ」とでも呼ぶべき感情だろう。2026年2月にGoogleが更新したコアルールは、AI生成コンテンツそのものではなく薄いコンテンツや汎用的なコンテンツを低下させる方向だとされるが、ユーザー側には「AI機能の押し付け」への反発が確実に存在する。LibreOfficeの記録更新は、AIを搭載しないという選択がビジネス上も成立しうることを示した点で興味深い。AI機能の有無を選べる時代の到来を示す、一つの社会的なバロメーターと言えそうだ。

オープンモデルのライセンスが東西で逆方向へ──GLM-5.3のカスタム条項とApache 2.0への回帰

オープンモデル動向を追うInterconnectsの分析が、ライセンスをめぐる構造変化を整理している。

中国勢では、Zhipu(Z.AI)のGLM-5.3がそれまでのMITライセンスをやめ、カスタムライセンスに移行した。注目されるのは「Model as a Service事業を営み、関連会社を含む12か月の合計収益が100億米ドルを超える事業者は、商業利用前にZ.AIのセキュリティ審査を受けなければならない」という条項だ。閾値自体は極めて高いが、「関連会社(affiliates)」の定義が曖昧で、採用の障壁を生んでいると指摘される。Kimi K3も推論・ファインチューニングサービスへの商用契約を要求し、MiniMax M3は収益閾値と禁止用途を設けるなど、フロンティアに迫る中国勢は軒並み制限強化の方向だ。

一方、米国勢は逆にオープン化へ向かっている。GoogleとMetaが主要モデルをApache 2.0に切り替えた。2025年に中国勢がMITやApache 2.0へ相次いで移行したのとちょうど逆の絵図で、オープンモデル圏の「東」と「西」でライセンス戦略が交差している。同誌は同じ号で、MITライセンスの小型モデルMotif-3、アリババの最大級モデルQwen3.8-2.4T-A95Bの公開、TencentのHy4-previewなども紹介している。

400MBのQwen3-0.6Bが2017年製スマホでデスクトップChromeを操作

RedditのLocalLLaMAに、興味深い検証結果が投稿された。2017年発売のSamsung Galaxy Note 8(Android 9、メモリ6GB)上で、Termuxのllama.cppを使い量子化されたQwen3-0.6B(約400MB)を動かし、ノートPC上の実Chromeブラウザを操作させるという実験だ。

鍵はモデルに見せる情報の設計にある。投稿者によると、モデルはHTMLもスクリーンショットもURLも見ず、ページを構造化した表現(リンクや入力欄約10個、およそ200トークン)だけを受け取る。ページの認識、候補選択、クリック、結果の検証は周囲のスタックが担い、モデルは名前で対象を選び、指定された事実をJSONに書き写すだけという分担だ。この構成で、サンドボックスサイトの商品情報取得、Wikipediaでの適切なリンク選択、UPCを含む5項目の取得の3タスクすべてで10回中10回成功した。12モデルの比較では同程度の小型モデルでも成功率に明確な差が出たという。

対照的に、同じ構成で構造化せず生のHTMLを与えると、Wikipediaのページは46万7,000文字あり、16kコンテキストには9%しか入らず、リンクを発見できず3回中0回だった。タスクは名前の照合と書き写しが中心で判断が必要な場面では1.5B級でも破綻するなど限界もあるが、「エッジ端末のエージェントは知覚層の設計次第」という示唆を得られる検証として注目に値する。

まとめ

数学の証明をめぐる「先取り」疑惑は、AIツールに研究ドラフトを預けることのリスクを改めて浮き彫りにした。Metaの評価指標撤廃とLibreOfficeの記録更新は、AIの押し付けへの揺り戻しが企業とユーザーの双方で動いていることを示す。一方でAlphaGenome Atlasのような研究の前進や、オープンモデル圏のライセンス再編、エッジ端末でのエージェント設計の工夫など、着実な進化も続いている。明日のダイジェストでまた追いたい。